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    • 2016.01.17 Sunday
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    新しい年

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      だいぶ間が空いてしまいましたが、各支部、平常通り稽古しています。

      先日、さいたま支部で新年の抱負的なものを生徒に言ってもらいました。Hちゃんは非常にしっかりしており、「来年は中学生になるので中学生にふさわしい組手が出来るようになりたいと思います」というような抱負を語ってくれました。
      一方、お調子者のM兄弟は、揃って同じ抱負で「生きる」とただ一言。他の生徒は、生きるのは当たり前だろうと笑っていましたが、私は唸ってしまいました。生きる。確かにこれより大事なことはなかなかありません。

      人生をゲームにたとえるとなんでしょう? サイコロをふってゴールへ進む人生ゲーム、双六のようなものでしょうか? それともお金を集めた人が勝者となるモノポリーのようなもの? あるいは恋愛シミュレーションなんだという人もいるかもしれません。
      しかし、それはミニゲーム、おまけのようなもので、本筋としては、一個でもミスをするといきなり死んでしまうアクションゲームのようなものだと思います。
      私も先だって、体調が不調なときに生ガキを食べたところ、胃腸炎になり非常に苦しみました。25年間、武術をやっていても、たった一個のカキで死にかけることがあるのがこのゲームの恐ろしさです。

      それどころか、何もミスしなくても突然、天災などでサービスが予告無く終了したり、他のプレイヤーが攻撃してくるプレイヤーキル(PK)もあり、さらにはそうした難関を全部突破しても最終的なエンディングはどっちにしろ死です。

      そんな中で私たちが出来ることは可能な限り、運や、制度、社会などの他人任せではなく、自分の意思と責任で選択をして、一日一日を丁寧に大事に生きることです。その意味では、違うことを言っているようで、Hちゃんの抱負もM兄弟の抱負も同じことを言っているように思えます。

      毎日が最良の日であるように、それを壊すものから自分を守れるように、武術がみなさんの支えになることを願って今年も稽古をしていきたいと思います。今年もよろしくお願いします。


      JUGEMテーマ:

      大会を終えて

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        13日に今年の大会が終わりました。
        組手のルールは暗中模索ですが、今回は強打でのポイントだけでなく軽くても連打が入り続けた場合、あるいは綺麗にかわしてのカウンターは技ありを取る方針にしました。軽量、非力な子でも技術で得点できるようにです。

        しかしなかなか難しいもので、慎重になりすぎる子はお互いにグルグル回りあい手を出せずに終わってしまい、逆に防具をつけているから痛くないということに甘えた子はひたすら攻撃一辺倒になり、非常に大味な殴り合いになってしまう局面が多く見られました。

        良い組手というのはドッヂボールではなくキャッチボールです。
        いや、本当はドッヂボールも上手い子は、ただ逃げ回る、ただぶつけたがるのではなく、ゲームの流れや連携を見ているしパスを回します。全ての基本はキャッチボールにあります。それは、相手の意図を受け止める。それに応じて的確に投げ返すということです。

        相手の意図に耳をふさいで怖がって閉じこもれば、何も出来ず逃げるだけの組手になります。
        逆に自分の主張だけをしようとすれば防御の無い大味な殴り合いになります。
        この二つは遠いようで本質的には同じで、どちらも相手とちゃんと向き合い対話をしようとしていない、ということです。

        大会前の挨拶、そして大会後の言葉で木村塾長が、木村塾の空手は生涯学習であること、総合武術、護身であること、競技に重きを置いていないこと、必ずしも今日勝った子、負けた子が、空手の力量と比例はしないこと。そして何より、本当の空手の強さとは人の気持ちに寄り添えることだ、というお話をされました。

        気持ちに寄り添う、相手の意図を汲んでその上で組み立てられた技術の応酬の組手は美しいもので、勝っても負けても得るものがあります。何よりそれはやっていて楽しいし、終わった後、笑顔になれるものです。
        お互いがお互いのことをもっと知ろうとする、自分のことをこんなにもわかってくれる人がいる。言葉を使わずにもこんなに人は戦いを通して分かり合える。そこに組手の良さ、喜びがあると思います。

        終わった後、勝ったほうが喜び、負けたほうがうなだれて帰るのではなく、駆け寄り合い、「君、どこの支部のなんて子?」「楽しかったね!」「また僕と戦ってよ!」そうしたやりとりが自然と生まれたとき、本当の意味での「木村塾の大会」になるのだと思います。それを目指してまた来年。

        JUGEMテーマ:空手

        意思と感情

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          なかなか更新の時間がとれず、すみません。

          先日、小金井の稽古で女の子が泣いてしまったことがありました。
          男の子が寝技で力の加減が強すぎたのです。

          とりあえず稽古の輪から外れて落ち着くまで休んでいてもらったとき、アシスタントのSさんがその子の隣に座ってフォローしてくれました。
          しばらくして、私が「もう落ち着いた? 大丈夫かな?」と聞いて輪に戻し、組手をやりたい子を募ると、その子は笑顔で真っ先に手を挙げてくれました。

          これはとても象徴的なことだと思います。
          人間は落ち込んだり悲しんだりしているときに、まず寄り添ってくれる人を求めます。
          それはとても自然なことですが、それだけでは何も変わらないのです。その状況から抜け出す道が必要です。
          そして何より、最後は自分の意思で立ち上がり進む意思が必要です。

          大人になってもこれは変わりません。
          サービス残業をさせられ、上司に意地悪をされ、会社に不満があるとします。
          こうした人は同じ境遇の同僚などに愚痴をこぼし、理解と同調を求めます。この会社はひどい会社だ、あの上司は嫌なやつだ、と。
          これは寄り添いを求める心ですが、そうした愚痴を酒の席で言って多少のストレスが減ったとしても、状況は変わっていません。

          もし、ここで誰かがその人に同調するのではなく「別の会社の求人を見たら同じ職種でもっと良い条件のところがあったよ」と教えてくれたなら、そしてそれを聞いて「そうか、何もずっとこの会社にいなければいけない理由なんてなかったんだ。面接に行ってみようかな」と思う自分がいれば、根底から問題を解決できるかもしれません。

          人間の感情は、まず寄り添ってほしいと願う部分が大きいし、Sさんが女の子に寄り添ってあげた気持ちは尊いものです。子供にはそうしたプロセスも、自転車の補助輪のような意味で必要かもしれません。これがカウンセリングなどであれば全く正しい処置でしょう。

          しかし、本来、武術には時間の猶予がありません。
          相手が今まさに襲ってきているときにどうするか、ということをやっているのですから、落ち込んだり悩んだり慰めて欲しいという暇はないのです。まず問題の解決が先に来ます。そうしないと死んでしまうからです。
          武術を学び、それに沿って行動する人は、常にその状況での最善手を考える以外のことをしません。

          そうした習慣が出来た人は落ち込んだり悩んだりすることがなくなります。感情より意思が優先するようになるからです。
          それは限りある命の時間を悲嘆から開放すること、本当の意味で自分を大事にすることです。人間の本体は感情ではなく意思の方にあります。
          そして他人に愚痴を言わなくなると人からも好かれます。誰かを自分の苦しみ、悩みのはけ口にしないことは他者も尊重することになるからです。そうすると物事が上手く回っていきます。

          武術にはそんな作用もあると思います。



          JUGEMテーマ:教育

          大会に向けて

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            毎年年末には木村塾の大会があります。今回は私の支部からは文京支部のMくんが出ます。
            稽古もそれに向けて入退場の礼法や、大会ルールでの組手の指導も始めました。

            普段の組手と違い、防具をつけての打撃戦では勢いや威力が重視されます。
            気をつけないと、それに引っ張られて技が荒れることがあります。

            大会は大会として、我々がやっているのは生涯学習であり総合武術であり護身空手であるのだから、そこを忘れると多くの現代武道が競技化にあたって無くしてしまったものをまた失うことになります。

            勝っても負けても意義のある学びと出来る大会になるように、指導者としても、大会運営の一員としても尽力していきたいと思います。

            JUGEMテーマ:空手

            武器術の稽古

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              人間の作り出したものには大きく分けて文明と文化があります。
              文明は道具の発展、文化は道具を使う人間の技術の発展を求めます。
              武術は文化なので、使う武器は複雑化したもの、「兵器」ではありません。そのへんにある棒、帯などの身の回りにあるものです。木村塾では朱雀、白虎、青龍の型で学びます。

              武器を発展させてしまうと護身の理念の枠から外れてしまうから使わない、というのもありますが、強大な武器は自分をも傷つけてしまったり、相手に奪われて窮地を招いたりもします。アメリカなどでは幼児が銃で遊んでいて家族を誤射して殺してしまう、といった事件が頻発していますが、これも武器が発展しすぎたゆえの悲劇でしょう。
              文明の発達は文化の成熟と釣り合いが取れていないと幸福につながりません。

              先日はさいたま支部で、杖と剣をひさしぶりにしっかり稽古しました。どちらも投げたり絡め取って関節を極めたりという体術的な要素を含んでいます。武器術の稽古は、丁寧な動きと間合いに対する繊細さを養うのにはとても良い稽古です。また、相手が何を考え、感じているのかを、構えの時点で汲み取っていくコミュニケーション能力も磨かれていきます。


              JUGEMテーマ:教育


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